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不登校小学生

トラブル

小学生の不登校1「混乱期」心身症の時期。娘は頭痛と無気力に。

更新日:

長女(小学1年生)の不登校がどのように回復したかをまとめるシリーズです。

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(投稿日:2017年2月18日)

混乱期とは

「不登校の始まりから終わり」を、本人の行動や関りの基本、援助の主眼点などの違いから、「混乱期」「他罰期」「内面成長期」「行動探索期」「自己実現期」の各期に分けたものの内、一番最初の時期のこと。

出典は『登校拒否のパターンと各期の援助のパターン(作成:佐賀県教育センター)』より。

不登校のパターンと各期の援助の基本

かかわりの基本

  • 登校刺激をする
  • 医師にみせる

上記はあくまでも「基本」なので、過剰でない登校刺激をしてみて手に負えない場合は、すぐに担任へ相談します。

留意点

  • 頭痛、腹痛などを訴えたら登校刺激をやめる

当時、長女も頭痛を頻繁に訴えるので(もとから頭痛持ちだったけど登校渋り後、酷くなった)、小児科でみてもらいました。

脳からくる怖いものではないことなどを調べ、薬を処方してもらったら、本人も安心したのか観念したのか、訴えの回数が急激に減りました

「気のせいよ」「仮病でしょ」「朝だけ言うよね」と、突っぱねずに、訴えを認めて、第三者にみてもらう、これが大事だと感じました。

援助の主眼点

  • 予防的援助
  • 精神安定への援助

登校渋りが始まる前

入学前から嬉しそうにランドセルを背負い、「早く学校行きたい」と前向きだった長女。

入学後も、毎日「給食が美味しい」「今日は〇〇をして面白かった」「〇〇ちゃんと遊んだ」など、こちらから何も尋ねていなくてもペラペラと学校の出来事を楽しそうに話してくれました。

今、思い起こせば、本人は無意識に頑張っていて、テンションが高い状態だったのかなぁと思います。

幼稚園での様子

年少と年中の登園渋りのときも、初日からではなく、新年度が始まって一週間後など、少しの間を置いてぐずりが開始しました。

『最初頑張っていたけど、数日間通って、幼稚園がどんなところか分かり嫌になった』感じがしました。
でも、幼稚園は登園渋りが原因で休んだことはなく、泣きながらでも毎日通いました。

先生との面談では、同じような登園渋り傾向の女の子と一緒にいて(性格が似ている)お互い安心して過ごせていたようで、園生活自体で何か指摘されることはありませんでした。

登園渋りが一度もなかった年長の1年では、色んなタイプの子と関りを持てるようになったと担任に言われました。

登校渋り始まり

5日前

初めて「行きたくない」と行った日の、5日前くらい(5月中旬)に、お休みをして遊びに行きました。(その時の記事
主人は休日も仕事のときがあり、その振替で平日休むので、担任の先生にもお伝えして了承を得ています。

不登校関連の本で「不登校になるタイミングは、ずる休みをした後が多い」と書かれていたのをどこかで読んで、愕然としました。

楽しいずる休みで、毎日通学していた緊張の糸が切れるきっかけになったのか?
本人は何も言わないので分からない。ただの偶然かもしれない。

2日前

遠足がありました。
楽しかったようで、みやげ話をたくさん聞かせてくれました。

写真はリラックスした顔で写っていたし、不登校の影はまったく感じませんでした

前日

とある内容の発表で、やり直しの指示がありました。
担任からやり直しの理由の説明がなく、拒絶されることに対してメンタルの弱い長女は、相当ショックを受けたようです。

当日

その頃の朝、通学路の途中まで送っていました。

別れる場所で、突然長女の足が止まって動かない。

下を向いてポロポロ涙を落とし、「行きたくない

次女の幼稚園送りの時間が迫っているので、とりあえず自宅に戻りました。

健康診断があったので「今日は行こう」と説得し、遅れて学校へ。
移動が始まっていて誰もいない教室に荷物を置いていると、担任が迎えに来てくれて、長女はすんなりついていった。

長い闇の始まり

この頃は

  • なぜ行けないんだ
  • なぜ我が子なんだ
  • 学校へ行くのが当たり前なのに

と思っていました。

実際、最初のうちは、学校まで連れて行って先生に引き渡せば、私ともすぐに別れられたし、先生が言うには、学校での様子は普段通りでした。

でも、だんだんと、同じ対応が通用しなくなってきたのです…。

段階を経て深まっていく登校拒否

  1. 校門まで連れて行けば、一人で教室へ行く
  2. 教室まで連れて行けば、教室にすんなり入る
  3. 校門で立ち止ってしまい、先生が来たら中に入る
  4. 校門で立ち止ってしまい、先生が来ても中に入れない
  5. 校門まで行けない
  6. 学校の用意はしているのに、家を出られない
  7. 朝は時間通りに起きるが、学校の準備をしない
  8. 朝、時間通りに起きられない

上記の順番に進んで行くのではなく、1番の翌日は、8番で休んだり、混ざった状態です。

ただ、初期は番号の若いものが多く「普通に友達と登校」する日もあったけれど、時間が経過すればするほど、番号が進んだものが多くなっていきました。

感じるのは、強制登校(言葉や行動で登校を強制すること)をすればするほど、長女の気持ちが荒んでいき、登校意欲を失っていったこと。

もし登校渋りをしだしたお子さんがいたら、むやみに登校刺激をせずに本人の気持ちに寄り添ってあげてほしい。
適度な登校刺激が良い影響を与える場合もあるので、お子さんにより個人差アリ)

「休みぐせがつくんじゃないか」「さぼりでしょ?」と、思うことは沢山あると思うけど、親は子どもの味方でいることが大事。

子どもの心が立ち直らないと、学校へ行けません。
行動するのは子ども自身だから。

子どもの元気が回復したら、あっけないほどに、自然と登校できました。

私がこのように書くのは、本当に後悔しているからです。

子どもに「死んでもいい」と言われた

車で校門前に乗りつけ、担任が出てきてくれて、長女を説得する。
長女は動かない、「行かない」と泣く。
その間、教室に補助の先生がいるけれど(いない時もある)、担任不在では授業が進まない。

クラスのみんなに迷惑がかかっているので申し訳なく思い、同時に長女のことが腹立たしい。

自分の時間もない、全然用事がこなせない。
(もし自分が外に働きに出ていたら、どうなっていたんだろうと肝が冷える)

その腹立たしさと苛立ちは、登校させて早く日常を取り戻したいという焦りになり、強制登校に拍車がかかりました。

毎朝、「行く」「行かない」で口喧嘩。
裸足のまま脱走する長女に靴を投げたり、動かない長女のランドセルを引っ張ったり、「歩かないとお母さんは帰るよ」と脅したり。

そんなある日、外で口喧嘩の最中に、長女が泣きながら「〇〇なんて、死んでもいいんだから!!」と叫んだ。
(〇〇は長女の名前)

私は「子どもが死ぬなんて言わないで!!」と即座に言い返したけれど、動揺がすごくて心臓がバクバクしました。

「死ぬ」なんて言葉は長女の口から聞いたことがなかったし、死ぬということの概念も分かってないものだと思っていたので、ショックすぎて。

でも、ようやく、そこまで長女を追い詰めていたことに気がつき、猛烈に反省し、強制登校はやめようと思いました。

強制的に登校しても、復帰するまでの時間が無駄に長くなるだけ。

まずは親が子どもの味方になって支えて、子どもの回復を待つべき。

付き添う大人は大変だけど(たいていは母親だと思う)、「回復までは時間がかかる」と、腹をくくってください(涙)
(うちは、8か月かかりました)

スクールカウンセラーの言葉

  • 3日頑張ったら、1日休んでもいい
  • 3日間は頑張ってほしい
  • 低学年の不登校は、学校との接点を無くさないように、最初から「休む」のではなく、少しでも学校へ近づけるよう気を付ける
    (中高学年でいじめ等原因が分かっている場合は休むことを優先するが、低学年は当てはまらない)
  • 休んだ日は、学校のことを忘れて心を休める

でも、スクールカウンセラー(以下SC)が最初の面談で、

「不登校と言っても、児童一人一人によって背景や原因が違うので、【これが効果的】や【こうしたら良い】などの答えはありません」

と、おっしゃったんですよね。

アドバイスどおり3日間、親子で衝突して苦しんで、堪えるのが辛かったです。
実際、3日もたずに休んでしまったり、逆に3日間頑張れた翌日に「今日はここまで頑張れたから帰ろうか」と切り出したところ、その翌日には、切り出す前の頑張りレベルに達せなくなったり、匙加減が難しかった。

なので、SCの言葉だけを盲目的に実行するのではなく、あくまでも助言として頭にいれておき、「【これが効果的】とか【こうしたら良い】とか決まっていない」のだから、そばにいる保護者が主導権を握って子どもを支えてあげたらいいと思う。

「低学年は学校との接点はなくさないように」
このアドバイスは、的確でした。

学校なんて大嫌い、行きたくないと言いつつも、敷地の外から体育授業中の校庭を見たり、敷地の外からプールを覗いて子どもたちの歓声を聞き、その場の雰囲気を共有することは好きなようで、誰にも見られていないという安心感があるのか、遠くからの見学は時間をかけてしていました。

担任に「近くにいること」を言うと、連れて行こうと行動されるので(当然ですが)、そうなると、また長女が取り乱してしまうから、「近くに来たら電話ください」と言われていたけれど担任には連絡せず、そっと二人でいました。

あと、SCには「休んだ日は学校のことを忘れてパーッと遊びに行ってもいいですよ」と言われたけど、次女の幼稚園のお迎えもあるし、不登校を解消するまで学校のある時間帯に一度も遊びに行ったことはないです。

ありがたいことに、毎日の学習習慣はついていたので、家にいる時間は自分から通信教材を開いて勉強していました。

市の図書館にはよく行きました。

まとめ

  • 「混乱期」は、家庭の日常が崩れ去るため、本人を含め、家族にも動揺が走り、大変負担がかかる。
  • でも、この時期を心穏やかに過ごせるよう子どもの気持ちに寄り添ってあげられたら、回復への道が近づく。
  • 学校へ行きたくないと反抗する姿は、本当に腹立たしいし、イラつくけど…
  • 担任やSCへ早期に相談し、家庭からの意見も出して、今後の支援方針について話し合うと良いです。
  • 学校の先生はただでさえ業務が多く忙しいので、毎回感謝の気持ちを言葉を口にするよう意識していました。

続きは次記事

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