実は、小学1年生の長女が、5月半ばから登校渋り発動中です。
1年生なのに学校行きたくないってどういうこと!?
周りのお子さんは何の問題もなく通っているのに、なぜ我が子だけ無理なんだ?
何がいけないんだろう?
今までの子育てを、全否定されたような絶望感を味わいました。
「目の前真っ暗」って、初めて経験した。
遅刻の母子登校の後、胸がざわついて何も手につかなかったり、ふいに涙が出たり。
でも少し気持ちが落ち着いたので、途中経過ですが書きます。
目次
新しい記事のお知らせ
2017年5月、お子さんが「学校へ行きたくない!」と言った時に、最初に読んでいただきたい記事を書きました。
急ぎの対応をお探しの方は、こちらの記事の方がマッチするかもしれません。↓
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きっかけ
突然、「給食が嫌だ」と普段通りに登校できない日がありました。
普段の長女は、自分から学校の話をよくするタイプなので、学校のことは割と知っていました。
友達と遊んでいるし、授業も問題ないし、給食も残してよいシステムなので(居残り食べも無し)小食な長女が登校拒否をするような材料はないです。
担任の先生から聴いたお話も、長女の話とほとんど同じ内容でした。
すぐさま先生からお電話をいただき、先生と少し話をして立ち直ったのか、その後は母子登校しました。
(この頃は、通学路上でのバトルもなく、スルッと登校できた)
その日の帰宅後は、「給食美味しかった~」と言って、笑顔。
翌日は、すんなり一人で登校。(近所の友達と一緒に)
ちなみに、長女は、公園などで出会った見知らぬお子さんと打ち解けるのが早く、一緒に遊ぶような子です。
母子登校の日でも、帰りに友達を連れて来たり、学校へ行ければ1日楽しく過ごしているそうです。
先生もクラスメートも良くしてくれて、「これぞ」という原因が思い当たりません。
それから
しかし、週明けの月曜日は玄関から出ることが出来ず、長女と色々話合いました。
結果、「明日は絶対行く」というので、その言葉を信頼して欠席。
翌日から木曜まで、元気に登校。
よかった、もう落ち着いたかなと思っていたら、金曜日は拒否。
校門まで行くものの中に入れず、一度帰宅して、午前中にもう一度登校。
先生から「入れないなら電話ください」と言われていたので、ついに電話。
先生が来ると、表情が和らぎ、すんなり中に入る。
こんな感じで、今日まで行けたり、行けなかったりで過ごしています。
今のところ、通常登校と遅刻(母子登校)の割合は五分五分です。
朝に試したこと
論理的に話し合う
小学1年生だからと遠慮することなく、「学校に行けない理由」「どうなったら行けるのか」「自分はどうしたいのか」など徹底的に話し合いました。
普段から冷静に論理的に話せる主人が担当しました。
長女も落ち着いて色々話してくれましたが、「話した⇒解決した(その時の気持ちとして)」までは、いけたものの、「解決した⇒登校出来るようになった」とまでは、いきませんでした。
一人で登校
入学当初から、通学路の途中のポイントまで見送りに行っていました。
私の準備が遅くなった日に、後から追いかけると、さっきまで玄関で泣いていたのに、結構普通な顔をして歩いていたので、「もしかして私への甘えなのか?一人の方がしっかり歩けるんじゃないか?」と思い、玄関で別れることを試してみました。
やっぱり駄目でした。
車で登校
徒歩で全く足が動かない時に、車で校門の近くまで登校しました。
車には乗るけれど、降りてから全く動かず、意味が無い日も。
車から降りたけど校門前でフリーズ、帰宅とか。
でも、長い通学路を時間かけて歩くよりは、バトルになる回数が少なく済むので、校門までたどり着くのが早く、親が楽でした。
強制登校
立ち止まって泣く長女を無理矢理校門まで連れて行きました。
ランドセルや腕を引っ張って。
長女は何度も電柱やガードレールにしがみついて抵抗するので、疲れます。
何がって、精神的に。
学校に行けなくて一番困っているのは長女なのに、泣き叫ぶ長女を引っ張って歩かせる。
立ち止まっては断固として拒否する長女に怒りを感じ、自分が鬼みたいで恥ずかしくて悔しくて悲しくて。
あー、思い出して泣けてきた。
本当に恥ずかしい。
この頃が一番、二人とも疲弊していたなぁ。
何のための争いなんだよ。
誰のために?
強制登校の日は、校門でも泣きじゃくり、先生が来てくださった後も長女はしばらくその場を離れられませんでした。
休みぐせが付くというので…
甘い顔をせず、最初の休み以外は毅然と登校させていました。
最後の方は、強制登校で。
すると、それまでは週の半分以上は普通に登校出来ていたのに、強制登校に変えてから、週に1日しかまともに登校できなくなりました。
残りの内訳は、週3は遅刻の母子登校、1日休み。(この休みは、吹っ切れてから)
最初の頃は、寝起きも良く、朝活(※)も出来ていて、嫌がるのは「通学路の別れるポイントで突然」でした。
最後の方は、一応自分で起きるものの、起床後ダラダラゴロゴロ、朝食中に泣くなど、明らかに長女の状態が悪くなりました。
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このままだと長女、壊れてしまう…
このままではいけない。
ようやく気付いたのでした。
ついに吹っ切れた
「学校は行かなきゃ」
「授業に遅れる」
「みんな行っている」
この考えで強制的に連れて行っていたのですが、でもこれって親の(私の)価値観だよなと…。
良くも悪くも長女の人生。
選択するのは本人で、その意志をサポートするのが親の務めだと気づいたんです。
育児書などに普通に書いてある言葉ですよね。
サポートとか支援とか。
今まで頭で分かっていたけど、行動に移せていなかった。
今回、実感して本当に身に染みました。
極端な話、このまま本格的に不登校になって学校へ通えなくても、自宅学習を続ける傍ら、将来フリースクールや不登校対応の通信制学校へ参加し、彼女なりに世界を広げてみたらどうか。
その結果紡がれる未来が、親の価値観から相違したものでも、長女の人生である。
社会や人との繋がりを断たないようにして、お金を稼ぐ方法をしっかり学んで、自立して自分らしく生きていけたらいいじゃないか。
今までの価値感を捨てて、吹っ切れました。
強制登校は、長女が病んでしまいそうなのでやめる。
でも、本音は、やっぱり学校へ行ってほしいですけどね…。
吹っ切れた背景
ブログを始めてインターネットの世界に身を置いて、多種多様な働き方、稼ぎ方があるのを知りました。
昔は自営業以外なら、学校を卒業して、どこかの会社や団体に就職しないとお金を稼ぐ方法がなかった。
それは、自宅に居ながら「他者と繋がる」手段が無かった時代。
私が長女に押し付けていたのは、そんな古い時代の価値観だった。
現代は、色んな所にビジネスのきっかけがある。
例えば、イラストや漫画を描くのが得意な人が、作品をインターネットで公開、それを気に入った人から作画の依頼を受けたり、インターネット上のメディアからライターの契約をもらったり…
自分のやりたいことを宣言して、クラウドファンディングで資金を集めたり。
実力やアイディア、運次第で「他者と繋がる」ことにより、その子の世界が広がっていく時代。
「学校へ行けない」からって、劣等感を与えて何になるの?
今、子どもに必要なのは、「そのままのあなたで大丈夫」という、親から与えられる安心感。
(↑2018年6月追記。今だから言える。)
↓この本で、おおまかな背景を知ることが出来ました。
題名が中身とマッチしてなくて、イケてないですが…。
(「教科書」と言うより、「ヒント」くらいでいいと思う)
2017年2月追記
おかげさまで、2月初旬、不登校を克服しました!!
その体験を元に、振り返り記事を書きました↓
「序章」小学1年生の不登校が回復に至るまで
「その1」小学生の不登校1「混乱期」心身症の時期。娘は頭痛と無気力に悩まされた。
「その2」小学生の不登校2「他罰期」と「内面成長期」じっくりと回復を待つ。
「その3」小学校の不登校3「行動探索期」最初の一歩を踏み出すとき。
「その4」小学生の不登校4「自己実現期」できることが増え、不登校解消へ向かった。